なので今週あった話題から。

何故か今週は才能という言葉が多かったような、
耳に残ったような気がします。
才能って良くわからない言葉ですね。

辞書をひいてみると意外とそっけない……

「才能」
・物事を処理する‐頭の働き(能力).(三省堂webディクショナリー)
・ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。(google)

 

個人の言葉だと……

・才能とは、情熱を持続させる能力のこと。(宮崎駿)

・根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ。(ジョン・レノン)

・たとえ百人の専門家が、「あなたには才能がない」と言ったとしても、
その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。(マリリン・モンロー)

 

大体、この系統の言葉になっていくようです。
皆さん特殊な職業の中でも並じゃない個性的な方々なので自分に置き換えて参考に
出来ないかもしれませんね。

 

ですから、おこがましいけど一応僕も定義を試みてみます。
たとえ芸事であっても社会の既存の枠組みのパーツをこなす力は
才能といわずに能力としてみまして。

才能はその人独自のやりかたで人に働きかける
力を宿しているものを生み出す力だとしてみます。

自分の中に何か引っ掛かりがあればそれは才能の種、
環境はそれを応援してくれたり、邪魔をしてくることも多々ある
それは全て試金石と考える。

いろんな状況でも自分の中にある引っかかりを
見続けていれば結構物事が分かるようになってきます。
歩み続ければその引っ掛かりを理解するときはやってきます。

そこまでは苦しいかもしれませんし、
それ以前にほめられても心から喜べないかもしれません。
自分を誤魔化さないというのはしんどいし、
人に勧めていいのか分かりません。

才能は楽しいものじゃないかもしれません。
その引っかかりから目を背(そむ)けるのもありだと思います。
目を何回も背けても引っかかり続けるから背けるのをあきらめて
追求してみようなんて展開もあるかもしれません。

追求するのが当たり前だと思って既にずっと生きてて、
そうで無い人がいることに驚く人もいるかもしれませんね。

 

実際問題として考えると……

能力は求められるタスク(仕事.課題)をこなす力。
才能は自分でタスクを生み出して実現する力。

言ってみれば外の世界の資本と自分の中の資本。
とりあえずな方はどちらに目を向けられてもいいと思います。
自分の中にある資本を育てていくか、既に用意してくれている
社会の資本を豊かにするために能力を発揮して生きていくかの違いだと思います。

自分の中にあるものを育てて中から外の世界にこんなの如何ですか~と表現するか、
社会はこんな能力を必要としていますよ・・・に向かっていくかですね。
それは、どちらも大事です。社会も良く出来ている作品だと思います。
どちらかが100パーセントということは無いと思います。

 

才能を自分で磨きたければ……

心引かれたものに向かっていくのがやはり王道かと思います。
得意だから向かうか、不得手だから惹かれるのかは
この際どちらでもいいと思います。

流行りも、周りの環境も関係ありません。
その時々の出来ること、やっていて楽しいこと、
やらねばならんと思い込んでしまったことを
見つめて実行していかれるのが
いいのではないでしょうか。

情熱は激しいものも静かなものもあると思います。
ある意味一人です過ごす孤独な時間は何よりも大切な時間だと思います。
静かな時間に埋没できるほどの激しい情熱っていう表現になるのでしょうか。
自己燃料で燃え続けられる激しさといったほうが分かりやすいかもしれませんね。

 

そんな風に生きてきて時に笑われたり
馬鹿にされることもあったりするのが世の中ですが
それはその人の考えの範囲の中でのリアクションですので
気にしなくてもいいことです。

しかし、そういった事柄をただ排除するのは芸がありませんので
ちゃんと試金石として自己確認の機会だと思って一考してみましょう。
深く気になったら有効な試金石に当たったということですね。

あとは本はたくさん読みましょう、又は真剣に様々な話をしてくれる人と
ちゃんと会話する時間は持ちましょう。
色々な考え方を受け入れる訓練になると思います。

あと、好き嫌いの感情を超える訓練。
物事の理解や才能は感情より深いところに眠っているのですから
感情は超えましょう。

 

自分の感情を超えれば沢山の知らないことが見えてきます。
知る知らないを超えて感受している世界が広がります。

いちいち自分が出てこない。自分を持ち出してあれこれ考えない。
自分を持ち出さないから見える情報が増えるのです。

 

言ってしまえば自分の中にある引っ掛かりから目を背けずに
人生のあらゆることを試金石として生きていきましょうということになります。
シンプルな生き方です。

時に深く打ちのめされることもあると思います。
でも全ては生きているうえでの出来事ですから生きている間は負けじゃない。
そんな時だからこそじっと観察してちょっとした事に気がついていきましょう。
真摯ではあるけど、力まずに。

 

江戸時代の日本画とかだと隠居してから描き始めていい作品を残している方も
多いようですね。
幾つになっても一芸を追求できるというのは豊かだと思いますし
人の欲求として当然のことだと思います。
一個の身体を持った人間としてその中に宿す資本を使う事は外の資本を使う
こととは違った喜びがあるかもしれません。
どうぞご自身に期待してください。

また音楽や書画というのは年齢が持つ制約は大きくないと思います。
大人の方は思考を膠着させずに感情を眺めて進んでいきましょう。