「寒いね~」が教室の挨拶になってきました。
どんな時も当たり前に来てくださるのが
ありがたいです。

楽器を弾けども弾けどもなかなか
上達しない。
そんな時期は誰にでもあります。
そんな時は色々と目先を変えてみたり突飛なことを
してみたり現状を打破・突破するために
色々とやってみます。

基本的にそれでOKです。

でもそのエネルギーがなくなると
ぢっと手を見てままならない状況を嘆きたくなります。

……
………ふぅ…

上手くなるのはちょっとの事ができるかどうか。
上手いも下手もその差は実は僅かなことだったりします。

そのちょっとを埋めるのは確かに大変かもしれません。

でも違いはちょっとの事であるのが事実。

大概はそのちょっとをどう詰めていけばいいのか
判らないのでちゃぶ台(古いですね)をひっくり返したり
真逆に突っ走ろうとします。

幼子の動きは大きいです。
手は握るか開くか、0と10しかないように使います。

成長していく上手くなっていくのはその動きの分解能を高めていく事です。
3~5で使っていたものを3.8~4.3の間で制御するとかです。

そして、ちょっとしたことのちょっとした違い。
これが分かるために反復が必要とされます。

同じ曲を何度も聴いたり演奏していくと
ちょっとした発見をしやすくなります。
そうした発見の蓄積がより多くなり大きな発見や成長につながります。

レッスンでも同じ曲をやり続けたり同じことを繰り返し話されたり
することは多いかもしれません。
また、同じことを……と思われるかもしれませんが
同じことの中にちょっとした違いが宿ります。

物事の差異を判断するセンサーは荒くしたり細かくしたりできます。
それは生きるために必要な機能です。
望めば感覚は鋭くなっていきます。
頭や気持ちだけではなくその必要さを身体にわかってもらうことが大切です。

同じように見えているけどちょっと違う。
ちょっと違うのはもの凄く違ってくるんだと気が付ければ、
日常の中のちょっとした違いを味わえるようになれば
強い刺激への渇望はなくなります。

上手くできてないことに気がつくのは
今迄の満足できたラインではもう納得できなくなった
というサインでもあります。
それが上達しているということです。

落ち込んだりするのも悪い事とは思いません。
そういう事も味わいながらも頭の片隅で
ちょっとしたことを発見してやろうという回路を
働かせ続けてください。

それは大概すでに多くの人に見つけられていて表現されています。
それが分かるのはそれが出来るようになったときです。
そうやって普遍性に出会うことができます。
自分が創造することと所謂「巨人の肩にのる」は
両立します。

エネルギーがない時ほど極端なことをやりたくなってしまいます。
ちょっとだけに向かえる程度のエネルギーで取り組んでいってください。
そのちょっとから大きな違いが表れるだけの時間を自分に与えてください。

大きな違いでも根っこはちょっとした違いです。
ちょっと変えれば大きな違いとなって現れます。
大きく変わるためにはちょっと変えればいいのです。
大事なのはその根を見つける事。
それが基礎です。基礎を作るというのはこういう事です。

オマケ——-

手をぢっと見るならもっとよく見ろ、ずっとよく見ろと
考えうる限り見ろと思います。
しつこくしつこく ぢっと手を見続けていると
使っていない可能性を発見できるはずです。
その見出した可能性に向かって進み、またぢっとみてを繰り返して。
きっと少しは楽になれるよと。
楽になった分だけ身軽になれるし、望むなら多くを背負えるよ。

まだ、僕の手は僕を楽しませてくれます。