たまに朝起きてすぐに文章を書いています。
ずっと書き続けて大体時1間位の分量ですので
そこそこの文章量になります。

最初に書き出したことが呼び水となって次の
テーマに移っていき、それをずっとやっていくと
1時間後には当初少しも考えていなかったことに行きついて
います。
大体その辺でストンと文章が決着してきますので
そこで終了です。
そこまでに必要な時間が僕の場合1時間位のようです。


先日、楽器屋さんに行って雑談をしてきました。
それぞれのお店にはお店の考えや目指す方向が
あるのは勿論ですが当然そこには手探りの事もあります。
そういった事を聞かせてもらってきました。

そうやって試行錯誤しているのは真っ当だなと思います。
1年やったら1年やった分の試行錯誤があって悩み
10年やったら10年分の試行錯誤があって悩みます。
悩んだりあれこれ見つめることに慣れていけば
器も広がって重心の低い仕事になっていくのではないでしょうか。
考えて、反論を繰り返して思考は形成されていきます。

それはただ手馴れたり都合のいい考えを振り回すことや
鈍くなっていくのとは違います。
悩む事を恐れない事はとても大切だと思います。
悩めることが人生からの問いかけなのです。
それは最初はそうは思えないかもしれませんが
とても喜ばしい事だと思います。

そういった問いの積み重ねでより細やかに
太い道を歩んでいけるような気がします。

何にせよ何かをやっているってのは観察したり試したりできる
権利を持っているという事ですので
それはトコトン行使したいですね。
100も1000もアイデアを出して捨てれるというのは贅沢かもしれません。

エド・シーランという優れたミュージシャンがいますが
彼はアルバムを作る時にに500曲程作ってその中からずっと聴いていられる
曲を選んで収録したそうです。
中々できる事ではありません。
沢山考えて作って、それに自ら反論する、それを捨てることが
何よりも大切だと思います。
当たり前に前向きに自分に反抗し続けられるのは
自分への信頼なのかもしれません。

考えも、自らもすべて呼び水みたいなものだと
思って扱うと楽しいかなと思います。
それがちゃんとある点で着地するだろうという信頼をもって
居られれば次々に試していけます。
着地点はちゃんと節のように現れてくるのかなと思います。

レッスンは基本的にその人と生じるペースでレッスンをしています。
その様にしていきたいのでマンツーマンレッスンという形に
しているとも言えます。
ペースは来られている方が次第かもしれませんが
実は僕の能力や見識などの都合なのだろうと思っています。
その方が試せることは沢山出てきます。

どのレッスンでも根底に流れていることは同じかもしれませんが
何年かレッスンをやっていると段々とその人と特有の
レッスン時間になっていきます。

そんな中で段々とその人の音楽が形作られていくのを見させて
いただいています。

一つの課題や話題を過ごしていく事が呼び水となって
次が生じていく中で
ある時にちょっとした驚きとなって現れてきます。
それは手つきや音に現れてきて
少し前のその人とは違う様を見せてくれます。

同じ教室で過ごしても皆違う音楽を奏でています。
そういった事に僕も引っ張られ育てられています。

お互いがお互いの呼び水となっているのかもしれません。

誰ひとりとも同じ時間、同じレッスンには
なりませんので再現性はないかもしれませんが
その再現性のない時間を未だ汲み尽くすことなく
過ごせることが幸せだと思います。