気が付けばに月も中旬に差し掛かってきました。
日々発見があり夢中になっている間にブログの更新も
随分と空いてしまいました。
今月に入ってコロナ関連でお休みしていた生徒さんたちの多くも
レッスンを再開しています。
皆さんお休みの間も色々と弾いていたようでコンディションは上々です。
リハビリしながらゆっくりとした再開かなと思っていましたが
全くの杞憂でした。

さてさて―
やりたいことを出来るようなりたい。
そんな思いは誰にでもあると思います。

でも、やりたいことが出来ない事が往々にしてあります。

やりたいことが出来ないときは
やりたいことに対して技術が追い付かない場合と
やりたいと言っている事柄を
その雰囲気とか漠然としたイメージで語っているだけで
中身がほとんど見えていない場合があります。

内部に何かが存在している場合は心の中にある漠然としたものを
どのように表現すればいいかと言葉を模索するのと同じように
そこに全身全霊向かっていけばいいと思います。
レッスンはそういった淡い感覚を目指していく不安な道程の
同行者として役に立つかもしれません。
しっくりくるまでコツコツ行きましょう。

表面的な言葉はあっても中身が見えていない場合は
その表層を作っているだろう構成要素を仮定して考えて
一つ一つ検証していくやり方が良いと思います。
レッスンの役割はその仮定される構成要素が
ある程度確定的な構成要素になるという事です。
一つ一つの要素をどれだけ習熟できるかが大切です。
やがて模索していた意味が分かる時が来るかもしれません。

やりたいことはやれるように取り組んでいけば良いと思います。
そういった事によって幾多の発見をしていく事が出来ます。
どちらの道でもそこに取り組む姿勢がその人の底です。

ただ、やりたいことが出来ている、
出来ていないという事と
周りからどのように扱われたいかを混同しては
いけません。

扱われ方に熱心になるより
やりたいことに向かっていくほうが
教室の有効活用や習熟の効果は高いかと思います。

最後に中身なんていらないというのも一つの
あり方としてあります。
それならそれに徹してみるのも良いと思います。
とことん自分を脇に置いて進んでいく。

中身を模索していくという事は
自分だと思ってい物をどんどん削っていく事ですので
実は自分の中身なんていらないという事と同じことになっていきます。

中身にとことんこだわる事と自分だと思っているものを
捨てていく事、こういった両極と思えることを
矛盾なく静かに内包している激しさはある意味必要かもしれません。